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令和8年2月8日(日) 更新
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ジョセフ彦〔山口豊さんの講演より〕
2月1日(日)に野添コミセンの大ホールで山口豊さん(播磨町ふるさとの先覚者顕彰会理事)による『新聞の父ジョセフ彦の生涯』について講演会がありました。
又聞きで簡単にジョセフ彦の略歴を紹介します。
1837年…播磨町古宮で生まれる
幼くして父親を亡くし、母親は東本荘の船頭と再婚、その後、母親も病死する。
1850年…13歳の時、義父の知り合いの栄力丸(樽廻船)の船頭のもとで働くことになるが、江戸からの帰り、遠州灘で暴風により遭難、帆柱を切り倒した栄力丸は52日間の漂流の後、鳥島付近の海域で乗組員17名全員が米商船オークランド号(3本マストの帆船)に救助される。
1852年…帰国するためサンフランシスコから香港に向かう。ペリーを待ったが鎖国中の開国騒動に巻き込まれる可能性もあったので再びサンフランシスコに戻る。
1854年…ボルチモアのミッションスクールに入学、カトリックの洗礼を受けジョセフの名を用いる。
1858年…帰化し米国市民権を得る。
1859年…上海のハリス(米国領事)を訪ね、神奈川県領事館通訳となる。
1860年…領事館を辞め、貿易商館を開く。
1861年…3度目の渡米
1862年…リンカーン大統領と会見。横浜に戻り再び領事館通訳となる。
1863年…領事館辞任、岸田吟香に助けてもらい『漂流記』を上梓。
1865年…『新聞紙』(日本で最初の民間新聞)発行
山本一力作の『ジョンマン』から10年ほど遅れ、漂流者となりアメリカに渡ったジョセフ彦は3人の大統領と面会し、あのペリー来航以来の開国騒動や米国との条約締結などに通訳として関わっていた。日本にとっては不平等条約であったが、これもその後の『富国強兵』政策に大きく影響を与えた日本人と言ってもいいのではないだろうか。
ジョセフ彦の生涯は、アメリカでお世話になった方々、また岸田吟香をはじめ、明治維新のために彼と関わった方々に支えられていた。激動の時代にまさしく激動の人生を送った彼にも仲間が、また支える人たちがいたのだ。
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